なりものヤフー・井上雅博伝㉑「贅沢の極み」
将棋の駒の動きに由来するなり金は、えてして語源の趣旨ではなく、違った響きをもつ。無駄に大きな家に住んで絶世の美女をはべらせ、高級外車を乗りまわして豪勢な酒食に酔う。あか抜けない金満家――。やっかみも手伝い、軽蔑の対象としてネガティブに解釈されない場合が多い。
井上雅博もまた、典型的ななり金に違いない。「団地育ちだからこのくらいは許される」
当人は親しい友人にそう遜った。その言葉の裏には、身の丈を超えた贅沢をしているという自虐的な意識とともに、自己承認欲求も見え隠れする。
しばしば見かけるなり金の行動パターンは、貴族の遊びを真似ているだけだともいえる。にわか分限に贅沢な遊びが似合わないのは、運よく手に入れた財力をひけらかし、一夜漬けの教養を自慢する底の浅い思慮が、透けて見えるからだろう。
ただし、井上は人も羨む娯楽を大っぴらにひけらかすことはしなかった。なぜだろうか。(以下略)
気の遠くなるような贅沢――